要求書本文
2020年5月22日
広島大学学長 越智光夫殿
要求書
広島大学学生自治会
メール:hirodai86@yahoo.co.jp
新型コロナウイルスの世界的流行は社会の崩壊を明らかにしました。補償なき「自粛」要請の影響で多くの人が、仕事が減り、収入が減り、果ては仕事を失うという状況にあります。大学においても親の減収や、バイト先での「コロナ解雇」が学生を直撃しています。そのなかで学生の5人に1人が退学を検討(「高等教育無償化プロジェクトFREE」アンケート)するなど、学生の困窮がこれ以上ないところにまできています。
広島大学においては学費の納入期限延長、応急支援金の支給などが実施されていますが、いずれも学生とその家族への負担を根本的に解決するものとは言えません。現に応急支給金についても、申請するために収支の証明を強制されたり、「本当に食っていけない!」というほどの貧困でないと許可が下りなかったり、とハードルの高さが訴えられています。
しかし実際に大学からの補償が少ないのは「ない袖は振れぬ」からです。なぜ「袖」がないのか。それは2004年「国立大学法人化」以降の大学政策において、運営費交付金の削減などで大学の予算を削ってきたからです。新自由主義政策のなかで、大学がそもそも十全な補償を出せない状況をつくりだされてきました。
これらの現状を踏まえて広島大学学生自治会は以下のとおり要求します。
1.学費を無償化すること
一時的な支給金だけではなく、学費の無償化をするよう要求します。
高額な学費は平時から、学生とその家族に多大な負担を強いています。新型コロナウイルスの感染拡大を受けての減収や、「コロナ解雇」が吹き荒れる今こそ、学費の無償化が必要です。
新型コロナウイルスの感染拡大の脅威もさることながら、「コロナ不況」とも呼ばれる経済的な打撃は社会に深刻な影響をもたらしています。IMF(国際通貨基金)は2020年の世界全体の経済成長率を、最も順調に感染が抑えられてもマイナス3.0%と予測しました。これはリーマンショック直後の2009年の成長率、マイナス0.1%をはるかに下回るものです。これから先、さらなる困窮が学生とその家族を襲うのは想像に難くないでしょう。また、ミネソタ大学などの専門家チームは「ワクチンの開発は早くても2021年になる」「今後2年間は終息しない」など、「コロナ危機」が長期化する可能性について言及しています。経済的な打撃も短期的に回復するものとは言えません。
広島大学で実施されている「応急支給金」などのような一時的な支援だけでは、長期的にみれば不十分です。2009年度時点で、学費が年収に占める割合は平均34%であり、根本的に学生とその家族の生活困窮を解決するためには学費の無償化しかありません。
そもそも教育・研究の機関である大学は、社会が保障すべき公的な性格をもつものです。困窮を理由に少なくない学生が大学進学を諦めたり、退学を検討したり、また奨学金を借りなければならない、という状況は根本的に間違っています。奨学金破産という言葉も今や珍しいものではなくなってきています。
今こそ学生のいのちと生活を守るために学費無償化を!
2.文部科学省および政府に補償を求めること
上記学費の無償化や、「応急支給金」などの生活支援を行ううえで、必要な財源は予算の効率化で解決するのではなく、政府、文部科学省にもとめることを要求します。
04年国立大学法人化以降、大学の運営に必要な財源を文部科学省、つまりは政府が削ってきました。その結果として、学費の高騰、大学の対応の不十分化が導かれたのです。
また、コロナ禍の渦中で、教職員も不安定な立場に置かれています。決して解雇、減収、非正規職化などのような、教職員への不利益が無いようにすることをもとめます。必要なのは予算の合理化ではなく、国家に責任をとらせることです。
「大学改革」によって大学に競争原理がもちこまれてきた結果、大学が生き残るためには「人よりもカネ」という方針をとらざるをえなくなりました。大学のあり方が変質し、各大学は切磋琢磨しあうものではなくなり、限られた資金を奪い合う商売敵となりました。競争に勝ち抜くためには、予算から学生にたいする支援などといった利益に直結しない「無駄」を削らざるをえなくなる、むしろ声を上げる学生を圧殺するための管理強化をすすめてきたのです。実際に、平素から広島大学は自転車規制やサークル棟への監視カメラ導入など、学生活動の制約に多額の予算をつかってきました。新型コロナウイルスへの対応をめぐっても、学生の補償に消極的な大学は、こういった地盤のもとで育てられてきたのです。
重要なのは、本来は個々の大学が限られた予算でやりくりするべきではない、ということです。公的部門たる大学に利益を追求させる、法人化こそが諸悪の根源です。国立大学法人化を断行し、「大学改革」を進めてきたのは政府であり、文部科学省です。文科省ひいては政府は責任をとるべきです。
3.学生自治・教授会自治に基づいた決定を行えるようにすること
今後の講義・大学施設・サークル・部活などの再開議論に際して、トップダウンの決定ではなく、学生や教職員の意見を反映した決定を行うよう、要求します。
現在、広島大学では大学構内への立ち入りが禁止されています。そのために、図書館やサークル棟などの学内施設の利用ができない、教職員との交流が阻害されている、と学習環境が十全ではありません。また、オンライン形式などインターネットを介した講義の形式は、多くの学生に負担をかけていますし、学生のみならず、教職員にも多大な負担があります。現に、対面形式で学生や教員の間での有機的な交流をとおしてすすむことが前提となっている講義はこの間、授業内容の削減、課題提出の偏重などといった弊害を被っています。こうしたなかで、もちろん無対策でいますぐに、とはならないまでも、キャンパスや学内施設の開放、対面授業の再開は学習の質を保つうえで必要となってくるでしょう。
たとえば、対面授業の再開やオンライン対応に際しても、経営などの観点からではなく、学習環境を十全に整える、学生や教職員の安全を守るという観点で、現場で自治的に議論するべきです。学内施設や課外活動についても、大学経営の目線から決定を下ろすのではなく、現場の施設職員や個々の部員・サークル員が主体的に、延期/再開などを議論するべきです。
今回のコロナ対応についても、トップダウンの決定が数々行われました。これまで「人よりカネ」の方針で、一切学生の方向をむいていなかったことが、対応の不十分、初期の対応の遅れ、ないしは急な決定に有無を言わさず学生・教職員を従わせる態度につながっているのではないでしょうか。大学の方針に学生・教職員の実態をかみ合わせる必要があります。したがって、上からの決定については学生もその内容について検討ができるよう公開性を保つこと、さらにはその意見を直接伝える場所として全学的な説明会ないしは学長交渉の場を設ける必要があります。
もちろん学生は「愚かな一個の消費者」などではありません。学生や教職員が相互に話し合い、協力して、感染症対策を徹底したうえでの対面授業の再開ないしは学内施設の順次開放を実現していくことは、不可能ではないし、むしろそうするよりほかありません。大学改革のもとで一貫して、学生と教職員の自治が破壊されてきた結果として、一方的な管理教育がすすめられてきました。予算を削り、合理化を進めてきた現在の大学では、学生や教職員は多忙を極め、今のままでは主体的に自治を議論する余裕がないというのも事実です。大学改革以降、国家の意思を受け、徹底してつぶされてきた学生自治・教授会自治を復権するためには、予算であり、学生や教職員の意見を集約する場が必要です。
今こそ、学生、教職員が自治的に大学を運営していくことが必要です。「カネより学生・教職員」の大学を主体的につくっていく、その能力が学生・教職員にはあります。学生・教職員が主体的に大学の未来を決定していくことができるようにするために、予算を拡充し、議論の場を設定するよう要求します。
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