①何をしている団体なのか
広島大学学生自治会は、学生が大学の主人公として、大学のあり方を積極的に議論し、その内容を学生自身が実現していく、ということを目指しています。
学生は未来を体現する存在です。日々の学習、研究活動や、課外活動、就職などをとおして未来をつくっていく、可能性に満ち溢れているのが学生であり、その可能性を十全に発揮できるようにする場が大学です。
一人ひとりの学生ができることは限られています。それぞれが目指すべき大学のあり方を実現するためにも、個人の力には限りがあります。しかし、一人ひとり学生が集まり、団結すればそうした諦めや限界を乗り越えることができます。研究や課外活動も、独りだけでではなく集団で、先人たちが実践し、切り開いた地平の上にあるものです。
全学生の力を合わせれば、なんだって解決できる。すべての学生がそれぞれの思う大学のあり方を議論し、学生の力でそれを実現していく。学生自治会は、そのための場としてありたいと思っています。現実にはまだ有志団体であり、現在の大学の状況や問題をビラやマイクで広報したり、学習会を開催したり、ということを主軸にまずは中心的に活動していく仲間を集めています。
②学生自治とは具体的に何か、時代錯誤・空想的ではないか
学生自治とは、学生が、所属する大学を自らの意思で運営していくことです。具体的には、学部単位で自治委員を選出し、自分たちの学部・大学のあり方について恒常的に議論し、それをもとに大学運営に反映させるべく決定や交渉を行っていく、これが学生自治です。かつては全学的に学生が委員を選出し、大学側と喧々諤々議論し、ときには対立しながらも大学のあり方を規定していました。たとえば大学生協も学生自治の成果です。当初大学側は生協をつくりたくありませんでしたが、学生が全員の生活を最低限担保する場が必要だという要求を反映させたのです。
しかし現在そうした学生自治を志向する組織はありません。バブル経済が蔓延したことなどから、かつて学生自治として先輩たちが必死に主張して勝ち取られてきた権利は、あたかも経済の豊かさが前提にあるかのようにとらえられ、権利は残っても、自治組織が形骸化していくことになっていきます。そうして学生運動が力を失ってきた1970年代中ごろから、国立大学においては当時3万6000円(1975年)だった学費が翌年には9万6000円、その2年後には14万4000円、といったふうに学費は値上げされていき、今では54万円弱まで引き上げられました。もともとは国立として社会的に保障されるものだった大学は、学生の抵抗が弱まったなかで、今や学生家族の経済状況とも乖離して学費を高騰させるようになったのです。
だからこそいま一度、学生自治をつくっていく必要があると思います。
2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、キャンパスに入れないにもかかわらず、学費が変わらず請求されることにたいして学費減免をもとめる運動が全国200近い大学で盛り上がりました。学生の現状にたいする違和感や葛藤、怒りが大学への要求として焦点化したのです。全学、そして全国の学生が団結すれば大きな力になります。それだけの力があれば、現状をもっと良い方向へと変革することができます。
③なぜ政治的なことに触れるのか、学生自治を装った政治団体ではないか
政治とは、将来のあり方を決定していくことです。学生は社会とかかわっていく中で未来をつくっていく存在であって、学生は本来的に政治的な存在です。むしろ現状において学生が政治から切り離されているということは、だれかに将来を決めることを委ねているということであって、それだけ学生の可能性が切り縮められていることの証明にほかなりません。実際に大学は政治によって変えられてきました。たとえば2019年には、大学入試での民間試験導入が取り沙汰されましたが、お金が無い人は少数の安い試験(=採点や作問が低予算)しか受けられず、お金がある家庭では多数の高額な(=しっかりした)試験が受けられる、といった形で教育格差を広げかねないものでした。これに反対して多くの学生・市民が声を上げて入試改悪を阻みました。大学の外にいる政治家や大企業が、当事者――大学生であり、高校生、の意思の介在しないところで、大学のあり方を大幅に変えようとする、そして今まで変えられてきた、これが現在の大学です。
むしろ学生の側から、社会の転倒したあり方を変える! それだけの展望が学生自治にはあります。学生自治を、学内で完結する問題だけを取り扱うものに矮小化するのではなく、大学と社会との結びつきを積極的に議論していくものとして、つまり政治的なことをも忌避しないで議論していく場としてつくっていきたいと思います。
また、学生自治会は改憲・戦争反対の立場で訴えてきました。戦争とは、学生の未来を奪うものです。戦後の学生自治会建設は、学徒動員や軍事研究を二度と繰り返させない決意のもとでおこなわれました。戦争は過去の反省にとどまらない、現在進行形の問題としてあります。大学においては現在的な問題として、軍事研究が進行しています。少ない予算をやり繰りするなかで、ペイの大きい軍事研究に手を出さざるをえない研究室もあります。「研究者版経済的徴兵制」ともいわれる事態です。一方で「戦争に役立たない」文系や社会学は「選択と集中」などを合言葉に削減される傾向が強くあります。研究者の良心だけに期待するのではなく、学生が戦争を繰り返させない立場にたち切ることが重要です。
④入学式では「自治会は危険な団体だ」と言われている、それについてどう思うか
大学側は、学生自治会について「関係のない団体」としています。「学生自治会」という名前からイメージされるような公認組織ではないことが問題にされているのでしょう。
しかし、私たちは公認ではないこと、有志団体であることを公言しています。公認組織を装う意図は全くありません。公認の有無に関わらず、全学自治を目指し、広大生全体の利害に関わる問題に挑戦するならば、それは学生自治会と呼ばれるべきだと考えているので、私たちは学生自治会を名乗って活動しています。
大学と「関係のない団体」ということは、本来それだけでは危険扱いされるようなことではないはずです。大学側もカルト団体については具体的な警戒を呼び掛けていますが、私たち学生自治会については、名指しであるにも関わらず、具体的に何が問題なのか、「関係のない団体」という以外に何も主張されていません。カルトとあわせて「注意せよ」として、あたかも何か危険団体のように印象付けようとしているだけです。
私たちは有志団体であり、規模も小さく、まだまだできることは多くありません。私たちにあるのは、ただ、この広島大学の運営に学生の意思が直接的に反映されるべきだという考えと、それに賛同して活動してくれている仲間、それだけです。
だとすると、問題とされていることは、「学生の意思が大学運営に反映されるべき」という、この考え、あるいはこれに賛同する学生、ということになります。これは不条理ではないでしょうか。しかしながら実際に、私たちが大学で集めた署名やアンケートなどは、まともに向き合われてきませんでした。自治会の仲間だけでなく、様々な広大生が意見したことでも、尊重されていないのです。
それはなぜか。私たちはその原因について、大学側が「学生のためにお金を使っても、大学の経営が楽にならない」と判断しているためだと考えています。大学側は必死に予算がない問題を訴えていて、実際に文科省から各国立大学に交付される運営費交付金は年々削減されており、これまでで1400億円以上削減されてきました。予算獲得のためには、様々な競争的資金を獲得する必要があり、国や企業などお金のある所の要望を聞かなくてはならず、そのために大学の指針は大きく揺らいできました。学生の意見は聞いてもお金にならないどころか、コロナで要望が大きい、学費減免などはむしろ大学にとってはマイナスになることです。学生の意見を聞く、当たり前のように思うことが、大学にとっては損害になる。だから学生自治会は問題視されているのだと、私たちは受け止めています。
しかし、この問題はそもそも文科省による予算削減からはじまった問題です。大学と学生が本来対立する必要はなかったはずです。そのために私たちは③でも答えたように、文科省つまり国を相手にするような、大きな問題になってはきますが、大学の改善のためには政治的な主張も必要だと考えて訴えを行っています。
⑤大学となぜもめているのか
私たちは④に書いたように、大学側との対立をとくに望んでいるわけではありませんが、大学側からすれば、学生側の要求は経済的損害として受け止められてしまうのです。大学側にとって、学生の要求を何としても通そうとする私たちの取り組みは、損害を与えようとする存在に映ってしまうのでしょう。
だからこそ「こうした要望を持っている学生は一部限りだ」と印象付けて、ある種見せしめのようにすることで、学生が大学に多くを望まないようにしたいがために、大学側は、学生自治会で中心的に活動している学生に対して、学生生活支援グループの職員を積極的に動員して、嫌がらせやネガティブキャンペーンを続けてきました。「関係のない団体」としながらも、これまで私たちが配ってきたビラをすべてファイリングするなど、普通では考えられない情熱と体制をとっています。しかし、こうした資料は情報開示請求でも提示されず、大学業務としてさえ扱われていない、非公然の業務のようです。
私たちはもちろん、こうしたつまらない対立で自分の人生を棒に振りたいなどとは思っていませんし、だからといって、大学に学生の現状を変えるよう本気で要望したい思いが、無下にされることにもとても耐えられません。
学生自治会で活動する仲間への攻撃は、実際のところ、学生が大学に改善を要望しようとすること全体への攻撃です。中心的に自治会として活動する仲間が大学側から問題視されることは多いでしょうが、どうか直接でなくても、陰にでも支えてほしいと思います。そうした声に支えられて、これまでも活動してくることができました。
⑥今の大学のどこに不満があるのか
具体的には色々ありますが、まとめると⑤などで述べてきたように、学生の意見が反映されないことです。
例えば、これまで半年かけてゆっくり学ぶことができたことが、わずか3か月ほどでせわしなく勉強していかなければならなくなったターム制です。導入前に大学側が自ら集めたアンケートでは、6割の学生が反対していました。それなのに導入されてしまったのです。その後、さすがに2コマ連続のターム制では大変だという声が学生からも教員からもあがってようやく、2コマ連続ではない形態も導入されることになりました。学生の意見を聞かないで運営されて、ほんとうにやっていけないというぎりぎりのラインになってようやく変わっていく、このような状況はとても危ういものだと思います。
そして学費。生活に困窮する学生がいることを把握していても、大学側は決して下げることはありません。コロナでとりわけ大変な学生がいることがクローズアップされましたが、これまでも学費が払えなくなって大学を辞めていった学生は少なくありません。学費が足りなくて休学をしようとしたけれども、休学の申請が間に合わず学費支払いもできないということで、退学を選んだ学生もいました。本当にこんな大学でいいのだろうか、ここまで無慈悲でいいのだろうかと思います。こうしたことさえ、問題とされてこなかったのです。私たちも十分に問題として扱っていくことができてこなかったのです…。
学生の思いが反映されない。どうせ変わらない。こうした状況を見ていると、どうしても多くのものを諦めたくなります。ただただ単位を取って卒業して無事卒業しさえすれば、それで終わりだと、それだけのために大学に来ているのだと考えたくなります。でも、私たちは大学に希望を見出したいと思って、入ってきたはずです。高校までよりもずっと自由で面白い場所だと聞いて。そうした思いを、どうして投げ捨てなくてはならないのでしょうか。
もっと大学は可能性に満ち溢れた場所なのではないでしょうか。新しいことを教えてくれる先生。新しい可能性を切り開く研究。自分たちの意欲に基づいて運営できる課外活動。こうした可能性があるのに、どうしてここまで小さな考えになってしまうのでしょう?
素敵な活動をしている学生はもちろんいます。みんなが絶望しているわけではない。でも、多くの学生が楽しく学生生活をしているとは、みんな思っていないのではないですか。そのような思いさえ、お互い隠しあって生きている。私たちはそうした大学環境をまるごときれいに片づけて、もっと希望に満ちた、そうした夢を話し合っても馬鹿にされない、夢を誰もがかなえられる可能性がより大きな大学にしたいのです。そのためには今の大学はあまりに考えが小さすぎる。学生のことを考えていなさすぎる。そう思うのです。
不満というより、私たちは大学をもっと素敵な場所にしたいのです。それは可能なはずだし、私たちは素敵な大学を夢見て、これまで頑張ってきたのでないでしょうか。
大学を素敵な場所にする、そのためには学生の意見がきちんと反映される、その可能性がまずなければなりません。大学の主人公は学生だ、そう胸を張って言える状況・環境をつくっていかなくてはなりません。
この挑戦は、大学自身が予算に縛られ、学生の意見に向き合おうとしない現状、まだまだ厳しい状況にあるということは自覚していますが、学生が夢をもって大学に集まる以上、決して叶わない夢ではないと、私たちは信じています。
そして、もっと多くの学生が夢をもって大学を変えようとすればするほど、この思いは現実のものになります。いろいろ諦めるくらいなら、いっそ、一緒に声をあげてみませんか?
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